はるのともいろの夏休み

知ったかぶりをしたいので!!

落合監督の失敗

昨日から突然、何のこっちゃ?という話です。

落合監督という人は、声優やナレーターで活躍中の落合福嗣さんのお父さんで、歌手としてデビューしたこともあります。あまりレコードは売れなかったようで、そんな時代の古い人です。

中日ドラゴンズでは2004年から2011年まで監督として在籍していました。

そこで落合監督の失敗の話です。

最初の失敗は2005年で、プロ野球のセ・リーグとパ・リーグという本来別々のリーグが年間シーズンの途中に交流戦で対戦するという新しい形が組み込まれた年でもありました。

そこで、あろうことか落合監督は「交流戦は五分五分で十分」等と勝ちにこだわる必要はないという、投げやりな発言をしました。

そんな発言の中で、選手たちの士気が高まるはずもありません。開幕からは前年の優勝の勢いに乗って首位を独占していたにも係わらず、結果的に交流戦は降竜戦と呼ばれるほどの惨敗で、逆に交流戦で上昇気流に乗った阪神タイガースに引きずりおろされ、選手たちは最後まで頑張り続けるも、あと一歩及ばず優勝できませんでした。落合監督が馬鹿な発言をしなければ、2005年の中日ドラゴンズは間違いなくリーグ優勝していたでしょう。

2回目の失敗は2007年で、必要もないのに数少ない友人の依頼により、中村紀洋選手を獲得した事です。中村選手はそれなりに活躍しましたが、中村選手に三塁のポジションを与えた為に、本来生え抜きのスターであり、落合監督が自ら育てていたはずの森野将彦選手が三塁から弾き出され、外野のポジションに廻されてしまいました。森野選手は守備と打撃で活躍し続けましたが、本来は三塁、内野の適性が高い選手です。森野選手にとっては負担の高い外野の守備で酷使され続けた為、案の定、2008年になると故障の連続で、更に北京オリンピック野球日本代表としても活躍しましたが、完全な復活は望めず、チーム全体の低迷にもつながりました。森野選手がスター選手として三塁を守り、チームを牽引していれば2008年の中日ドラゴンズは間違いなくリーグ優勝していたでしょう。

結果的に落合監督の失敗により中日ドラゴンズはリーグ優勝のチャンスを2回も逃してしまったのです。

当時の私は2ちゃんねるの中日ドラゴンズのスレッドをたくさん見ていたので非常に強く覚えています。昨日2ちゃんねるの事を書いたので、突然、思い出しました。

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